【第三話】初めての胃腸炎
初めての胃腸炎
二浪目の春
新しく入ってきた一浪生達に負けないよう、私はがむしゃらに絵を描きました。
そんな私を元気づけるためか、一浪時代の仲間達が集まってくれて、
私の20歳の誕生日会を開いてくれました。
私は皆に会えてとても嬉しかった、久しぶりに心底楽しくて笑いました。
アルコール度数低めのサワーに口をつけました。
一杯目を3割程飲んだ所で、急に吐気が止まらなくなりました。
疲れてたから酔いが回ったのかな?
ストレスかな?
引き笑いしすぎて酸欠かな?
次の日も吐気は治まらず、20歳の誕生日だというのに病院のベッドで点滴を受けていました。
お医者さんに
「胃腸炎だね。」とか
「あれ?脈がないね。」とか
「君、アルコール弱い体質だからやめた方がいいよ。」
とか宣告されました。
20歳の誕生日に禁酒が決定しました。
関係ないですが私は生魚が苦手です。
料亭やパーティの良いお寿司すら、口に合わない残念な舌です。
昔友人に「人生半分損してるね」と言われましたが、
20歳で禁酒だなんて更に損じゃないの?
私の人生損だらけかもしれない・・・とショックを受けました。
今後皆がお酒でヒャッハーする中、私はシラフで暴れる事になるのです。
そういえば昔
「合コンでウーロン茶を頼んで良いのは美人だけ」
と聞いたことがありました。(迷信だといいな)
「ウーロン茶氷抜きで」
なんて頼んで、ヒンシュクを買いたくありません。
ただお腹が弱いだけなのです。
私は今後「ジンジャエール氷抜き」という生ぬるい炭酸でなんとかしのぐのです。
二度目の胃腸炎
初めて胃腸炎を経験して一週間は吐き気と下痢で寝たきりに。
その後なんとか薬で少し回復した所で再び予備校へ。
立ち止まってる暇はなかったので、また頑張ってしまいました。
ほどなくして再び二度目の胃腸炎になりました。
前より症状は重く、食事もあまりとれず、56kgあった体重は51kgに減りました。
会う人会う人に「げっそりしたね」といわれました。
そういえば昔先輩が、
「人生であと二回胃腸炎にかかると予言されたら、俺は自ら死ぬ。」
と言っているのを思い出しました。
なるほど納得の地獄です。
起きてる間吐気が止まらない。
横になってても、食べなくても。
薬もニガいのに効かず、ニガすぎてキラキラとお腹PPの同時攻撃。
(まろやかな表現でお送りしています)
オワタ。
ほんの数年前とは別な人の人生のように、そこはまさに地獄でした。
完璧主義の呪縛
一旦休息を取るべく、大事な夏期講習をまるっと休みました。
久々の一ヶ月のお休み。少しはのんびりできました。
そしたら少し食欲も戻り、絵が描きたくなってきた。
「心も疲れてたんだなぁ。」
ようやく気付きました。
毎日「〜しなければならない」に支配され
しんどい時も「休む事は許さない」と無理やり行き
毎年「落ちてはいけない」とプレッシャーをかけられる
まさに完璧主義の呪縛。
大学受験勉強を始めてから、
朝から晩まで9時間絵を描き、帰ったら国語と英語の勉強。
やりたくない時もやり、逃げず、頑張り続けてきました。
夢の中でまで、電車に乗って空を飛び、予備校に着地しました。
目を覚まし「また行くんかい!」とげんなりしました。
もう無理だと心が言っていました。
私は根性も努力も苦手なくせに、
変な真面目さと完璧主義のプライドのせいで心身を壊してしまったのです。
今ならわかりますが、
絵画が好きじゃない上にさほど上手くない人は、相当の時間と努力と根性が必要です。
好きこそ物の上手なれ。
私は体験していて知ってたはずなのに。
高校の演劇部で、記憶するのが苦手なのに、1時間の舞台の台本を丸暗記できました。
好きだったから、楽しかったから。苦じゃなかったんです。
好きじゃない事を努力するのは、負担が大きく、苦行でした。
それに気付かずここから始まり、
自分を縛り、我慢や努力をする日々が続くのです。
体は「どうか気付いて欲しい」とずっとずっと教えてくれていました。
しかし薬でごまかし無視し続けたのです。
地獄の胃腸炎を経験し、これをきっかけに体調不良の数が増えていく。
負のループに入りますがまだ事の重大さに気づいていませんでした。
ここで真剣に体の治療をし、心を入れ替えていれば、15年もパニック障害に悩まされることはなかったかもと思うと悔しいです。
腸がどれほど健康の要か。
ストレスがどれ程の猛毒か。
無知で自分を大切にしなかった私は、どんどん泥沼にハマっていくのでした。
⭐️ 第四話に続きます⭐️
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