幸せで楽しかった人生編
【第一話】発症前の幸せで健康な日常(子供時代)
赤ちゃん時代
きなこは、兄二人の末っ子長女として生まれました。
生後一ヶ月でブクブクに太り、見た目はビバンダム、又はマシュマロマンみたいでした。
男だか女だか判断に迷うどすこい容姿な上に、兄のお下がり服着用。
写真に写る赤子の目は、肉で埋没してたけど多分開いていました。
暑がりで服をすぐ脱ぎ捨てるけど、鉄壁のパンツはなぜか脱がない。
そんな女の一面を見せていました。
あまり風邪もひかない元気な普通の女児でした。
小学生時代
いつも元気なおてんば娘。
ふざけ、走り、木に登り、花をすり潰し、虫やザリガニを捕まえ、土団子を並べ、遊ぶ毎日。
平成の始まり、公園の多いのどかな地域で近所の子達と皆、自然と戯れて遊んでいました。
自分だけ自転車を買ってもらえなくて、公園間の移動の際に皆を追いかけて走っていたら、いつの間にか足が速くなっていました。
良いふくらはぎだ、と母に褒められました。
単純なので調子に乗って陸上部に入りました。
陸上部ってかっこいい。「私陸上部なんだ〜!」て言いたい。しょうもない動機。
毎朝全力ダッシュを何本もストイックにさせられました。
ある日疲れ果てて教室で吐いてしまい、ショックを受けて即陸上部を辞めました。
走るのは好きだけど、遊びじゃない忍耐の走りは面白くもなんともありませんでした。
私は根性がなくて、楽しくないただ辛いことは続けられず、すぐ逃げたのです。
この頃は、自分の心に正直でした。
中学生時代
食欲旺盛で沢山食べていたため身長も平均以上はありました。
男子に混じって女子一人、給食の残り物の争奪戦をしていました。
参戦は主に牛乳です。
たまにカミカミ昆布や豆なんかも残りましたが、スルーしました。
中学の卒業文集は「給食戦争」について書きました。
部活の部長は皆、部活の青春について書いていました。
美術部の部長は私でした。
高校生時代
高校は演劇部にのめり込み、楽しくやってたら地区大会で演技賞を受賞しました。
演技が特別上手ではないけど、いつも楽しんでいたのは確かでした。
今まで大会で賞なんてとったことなかった、しかも好きなことで。。
それはとても嬉しく、今でもその時のスポットライトの熱は忘れられません。
一時間の劇、毎回セリフは膨大で記憶力に自信はないけど、
好きなことは苦じゃなく努力できて頭に入り、早朝練も筋トレも楽しく努力できました。
幼い頃恥ずかしがり屋で緊張しいだった自分はどこへ消えたのか・・・
大勢の人の視線や注目、照らされる照明がとても気持ちよかった。
高校まではそれなりに頑張ればそこそこ希望通りだったし、
楽しく興味のあることは成績を残せました。
褒められて嬉しい頃
勉強よか体育・音楽・美術が好き!
趣味が沢山あり、勉強そっちのけで好きなことを思う存分楽しんだ小中高の学生時代。
未来より過去より今が大事。今が楽しかった。
好きなことを上手と褒められ、ちやほやされて浮かれていました。
友達や先生に褒められて嬉しい。
親にも褒めてもらえて、自慢の娘でとても嬉しかった。
承認欲求が満たされていました。
(勉強は褒められたことないのに・・・)
人間関係も良好で、学校のアンケートでは「ストレスはない」と回答したほどでした。
小さな箱の中のバラ色の人生
人生が楽しかったこの頃。
この平和で楽しい日常がずっと続くと思ってました。
人間関係・健康・環境・お金、努力もせずに恵まれていました。
私はただニコニコ楽しく遊んでいるだけでした。
自分は運が良いと本気で思っていました。
ずっと健康で長生きできると思っていました。
可能性は無限大で夢は叶うと信じていました。
自分の上限を知らない、怖いものも知らない、世界も視野も狭い、挫折経験がない。
そんな自分の心身の転落が始まったのは大学受験、二度の失敗でした。
学生の頃までは私の人生で、楽しいや成功や幸福が詰まっていました。
これが後々幸せになるヒントになってきました。
⭐️ 第二話に続きます⭐️
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