きなことら

主に注文住宅とパニック障害について思ったことを書いていきたいです

共存編【第七話】ストレスと偏食

 

🐯 前回までのあらすじ🐯

高校まではストレスフリーの元気ハツラツ、ご飯大好き人間

大学受験二度の失敗で、初めての挫折と、胃腸炎パニック発作を経験。

早朝の長時間の通学電車で発作が頻発したが大学生活は楽しく過ごした。

 

緊張の場面で突然酷い発作に襲われ恐怖を感じたものの、それ以来無いので特に原因解明せず。

就職し多忙だがやりがいのある日々。食生活が乱れ、甘い物への欲求が増す。

 

【第七話】ストレスと偏食

 

会食恐怖症

f:id:kinakoandkotora:20211028141142j:plain

 

地方の本社での研修が終わり、地元の支社に転勤しました。

 

仕事も人間関係も住む環境もガラリと変わり、

ストレスが猛烈に増えました。

 

一番のストレスは会食でした。

 

 

終業後、上司達に囲まれてのアドバイス飲み会。

(ご教授?説教?)

 

課長には箸の持ち方が違うと注意され、

(2歳位から同じ持ち方)

 

部長にはお酌の仕方が悪いと御指導いただく。

 

 

一般常識に欠けたド新人に、

上の方々から御指導いただけたのは大変有難い事です。。

 

善意で私のために、と頭ではわかっておるのです。

 

 

説教系に続き最も辛いのは偉い人とのお食事。

 

社長の隣では、緊張して食事が喉を通らない。

 

しかも高級食材がことごとく口に合わない。

 

つい「おいしゅうございます」と

にっこり演技するド阿呆なワタクシ。

 

 

とにかく会社の会食は、酒も飲めないのにやっていられない。

 

社会の荒波に揉まれ、ストレスを溜めていきました。

 

 

f:id:kinakoandkotora:20211028141205j:plain

 

会食=ストレス胃痛が続いたせいか、

 

友人とですら、人とご飯を食べると胃もたれするようになってきました。

 

 

後々気付いた事ですが、

 

私は律儀に会社の飲み会やランチに参加してストレスを溜めましたが、

 

他の先輩や後輩達はうまく避けまくっていました。

 

 

偉い人が来る前はなぜか営業さんが激減していて部屋が寒いのです。

 

「忙しいから今日無理、話しかけるな」オーラで残業する人も。

 

 

ずるいじゃないか、私もそのオーラ出したい。

 

私は救いようが無い程嘘がド下手くそでした。

 

 

「え、断って良いのか」と気づいた時点で既に遅かったのです。

 

すっかり会食恐怖症に片足を突っ込んでいました。

 

偏食

f:id:kinakoandkotora:20211028141224j:plain

 

朝食はコンビニの菓子パン。

 

 

昼食はたまに自炊した弁当、

(ほぼ惣菜コロッケの卵とじ丼)

 

パン屋の惣菜パンや菓子パン

 

外食でパスタ、うどん、カレー、和洋食

 

 

夕食は、添加物がしこたま入ってるであろう

牛丼、親子丼、ハンバーガデパ地下かコンビニ弁当を買って帰る。

 

 

相変わらず忙しくて自炊ができない日々。

 

腸炎になってからは昔ほど食に興味がなくなり

 

簡単に食べられるものを好きなように食べていました。(主にに炭水化物)

 

仕事の合間の休憩には、引き出しにいっぱい入った

チョコパイやクッキーをいくつもつまみました。

 

 

初めての精神科・心療内科

f:id:kinakoandkotora:20211028141241j:plain

 

朝の通勤ラッシュでは

吐き気の発作と戦いながら通っていたため、

胃薬が手放せない日々。

 

下痢は日常だったけど、高校まで便秘体質だったのでそれよりマシでした。

 

 

内科には胃腸の薬を貰いにいっていて、とくに精密検査はうけていませんでした。

 

健康診断は毎年全部A判定だし

「ストレスでしょう」で終わるから。

 

 

お医者様は忙しいから、一人一人の話を丁寧に聞いてはくれなかったし、

 

私自身、連日締切に追われる仕事のストレスだろうと思っていました。

 

 

f:id:kinakoandkotora:20211028141257j:plain

 

ストレスのせいならば胃腸科では無く精神科の方かと思い、

 

一度精神科・心療内科に行ったら、随分若いイケメンの先生で驚きました。

 

一瞬テンションが上がりましたが、すぐに下がりました。

 

 

なぜなら先生は、問診票にさっと目を通すと病名の診断などは特にせず、

 

「とりあえずこの薬で様子を見て下さい」と言い、

 

得体の知れない説明もない「抗不安薬」とかいう物をくれたのです。

 

 

私は当時知識が無く、

 

依存性が高く飲んだらやめられなくなる、とか

頭がフワッフワになる、とか

ピー、とか

 

なんか噂で聞いたことがあり、

 

恐ろしくなり薬を全部捨ててしまいました。

 

 

次に行った時

「飲んでみましたか?」と聞かれ、

 

「怖くて飲めませんでした」といったら、

 

「そう。」で終わったのでした。

 

 

謎の薬を飲まなかったら、治療できないものなんだ・・・

 

精神科なんか行くんじゃなかったと後悔しました。

 

 

結局ずっと慢性的な体調不良の原因はわからずじまいで、

 

20歳の胃腸炎からもうズルズルと8年位経っていました。

 

ポイント

健康面

・転勤先の職場でストレスが増大した。

・ストレスで人との外食で胃がもたれる。

(会食恐怖症)

・食べやすいものを好きに食べていた。

(炭水化物に偏った食事)

・甘いものがやめられなかった

(エネルギー不足の可能性)

・朝の通勤満員電車で発作があった。

(条件付き発作)

・慢性的な胃弱、下痢が続いていた。

(栄養不足・腸内環境の悪化)

 

精神面

・苦手な人との食事が辛いが我慢していた。

・食への興味が薄くなった。

・精神科・心療内科へ行って抗不安薬にビビり捨てた。

 

転勤先でのストレスは大きく、

体の不調が普通になっていました。

 

電車の発作も当たり前、下痢も日常、

食欲がないのはストレスと加齢のせい。

 

仕事に集中していれば忘れられる。。

 

 

しかし若さで何とか働いてきましたが、30歳近くなってキツくなってきました。

 

もっと体に優しい働き方をしないと壊れてしまう。

 

私は転職を考えるようになるのです。

 

 

⭐️ 第八話に続きます⭐️

 

関連記事

 

kinakoandkotora.hatenablog.com

 

kinakoandkotora.hatenablog.com

 

目次リンク集

kinakoandkotora.hatenablog.com

共存編【第六話】強烈な緊張発作

 

🐯 前回までのあらすじ🐯

高校まではストレスフリーの元気ハツラツ、ご飯大好き人間でした。

大学受験二度の失敗により、初めての挫折と、胃腸炎パニック発作を経験。

 

大学に合格したものの、片道三時間の通学電車でより発作が頻繁に。

電車通学がなくなり楽しく生活していたら、次第に発作は消えていきました。

 

【第六話】強烈な緊張発作

 

緊張に耐えられない!

f:id:kinakoandkotora:20211019141849j:plain

 

大学四年生の春

 

美術の先生の教員免許をとるべく、教育実習へ三週間行きました。

 

 

可愛い高校生達。

 

いい子達ばかりでとても仲良くしてくれました。

 

中にはおませな男子もいました。

 

下ネタは本来乗っかりたいところを、立場上グッとこらえてスルーしました。

 

 

授業も真剣に取り組んでくれて、刺激溢れる充実した日々でした。

 

実習最後の週に、他の先生方に授業を見学される査定の日がありました。

 

大学からも教授が見に来られます。

 

 

台本も作ったし、何度かやった授業。

 

演劇で舞台に立つのと同じようなもの。

 

朝から余裕でした。査定は午後の授業です。

 

 

f:id:kinakoandkotora:20211019141908j:plain

 

しかし査定授業の直前10分前になって、急に今までに無い程の猛烈な吐き気に襲われたのです!

 

椅子から立ち上がれない・・・

机に突っ伏す私。

 

「ヤバイ!吐いてしまう。。。!」

 

「嫌だ!絶対嫌だ!助けて誰か・・・神様・・・神様」

 

視界は滲み、景色がぐわんと歪み回って、机を濡らしました。

 

 

しかし容赦無く移動する時間が来ました。

 

「絶対無理だこれ!!!!」

 

 

しかし体は勝手にスッと立って歩き始め、廊下を歩く。

 

無心で前を向いて。

 

次第に発作が消えていく。

 

記憶がないけど、沢山の先生方の前で笑顔で授業をやり遂げました。

 

 

「なんだったんだろさっきの・・・?」

 

演劇部では役者をやっていた。

 

舞台や大勢の人前で、一人で喋る事にも慣れていた。

 

 

今まで緊張して体調不良になったことなど一度もない。。

 

大会なんかは大きなステージで、むしろワクワクしていた位だったのに。

 

 

私の体は確実に悪く変わってしまったと実感した日だった。

 

少しのストレスや緊張に耐えられなくなっていたのだから。

 

 

仕事のやりがいと多忙

f:id:kinakoandkotora:20211019141925j:plain

 

その後は就活の面接などで緊張する場面は多々あったものの、

 

あの酷い発作に襲われることはありませんでした。

 

 

私は大学を卒業し、デザイン会社に勤め始めました。

 

一年目は本社で研修があり、地方で一人暮らしをしました。

 

 

仕事は残業がとても多く、一年目から23時までなんてザラでした。

 

慣れない土地に慣れない仕事。

 

さぞストレスでまた発作が起こるかと思いきや、杞憂に終わりました。

 

 

運良く人間関係に恵まれ、毎週観光もできて楽しいのです。

 

仕事だけどやりがいはあるし、お金をいただきながら勉強させてもらってる感覚でした。

 

 

常に皆で、上を上を目指していました。

 

やれば出来るようになって、とても嬉しかった。

 

カッコイイ自分を目指し、自信もついてきていました。

 

 

多少無理してでも若いからか、

 

夜更かしだろうと睡眠不足だろうとやれていました。

 

 

同期から借りた乙女ゲームをやりたいがために、

早朝に起きて一時間程ニヤついた後、出勤していました。

 

色んな意味で元気です。

 

 

甘いものがやめられない

f:id:kinakoandkotora:20211019141942j:plain

 

食事は自炊する暇はなく、平日はほぼ外食でした。

 

朝は菓子パンやおにぎりをコンビニで買って済ませました。

 

 

外食は栄養を気にして、定食屋に行くようにもしましたが、

 

次第に甘い物がやめられなくなっていました。

 

休日には好きなチーズケーキを買いに、わざわざ大きな駅まで電車に乗って行く程でした。

 

 

元々そこまで甘いもの大好きではなかったのに、

 

急にホールケーキを一人で食べる程好きになっていました。

 

 

よっぽど脳が疲れているんだなぁと思いました。

 

いくら食べても太らないし、不思議に思いました。

 

 

ポイント

健康面

・緊張に耐えられず、酷い発作に襲われた。(条件付発作、セロトニン不足の可能性)

・泣いて歩いたら発作が引いた。(副交感神経が優位になった)

・過労と寝不足が続いたが仕事はできていた。

・甘いものが沢山欲しくなった。(エネルギー不足の可能性)

・食べても太らなかった。(胃腸の消化吸収能力の低下)

 

精神面

・酷い発作に驚いたものの、その後は大丈夫だったので忘れた。

・慣れない土地や仕事や人間関係も、楽しくやれていた。

 

激しい発作に驚いたものの、その後何度も緊張の場面を越えられたので、この時はトラウマになることはありませんでした。

 

原因も全くわからないし、そもそも病気なのかもわからないし、病院にも行かずほっといてました。

 

体が求めてくる、美味しい好きなものを好きなだけ自由に食べていました。

体は何で構成されているか、何が必要か?

微塵も考えていませんでした。

 

次第に食生活の乱れとストレスが、徐々に発作を何度も引き起こしていくようになるのです。

 

 

⭐️ 第七話に続きます⭐️

 

関連記事

 

kinakoandkotora.hatenablog.com

 

kinakoandkotora.hatenablog.com

 

目次リンク集

kinakoandkotora.hatenablog.com

共存編【第五話】早朝電車修行

吐き気との共存編

 

🐯 前回までのあらすじ🐯

高校まではストレスフリーの元気ハツラツ、ご飯大好き人間でした。

大学受験二度の失敗により、初めての挫折と、胃腸炎パニック発作を経験。

 

原因不明の謎の吐き気を胃腸薬でごまかしつつ、最後の受験に臨みました。

 

【第五話】早朝電車修行

 

夢の美大

f:id:kinakoandkotora:20211013152131j:plain

 

二浪もして、無事に憧れだった美大生になれました。

(芸大は瞬殺で落ちました)

 

認められた時は今までを吹っ飛ばす位最高に嬉しかったです。

 

 

頑張れば報われるんだ✨

 

夢は叶う!

 

と、夢の国の住民達が声を大にして言っていたのを思い出しました。

 

今なら清らかな心で受け入れられそうです。

 

 

しかし私は健康と両親の大切なお金を代償にしました。

 

今でも応援し援助してくれた両親には大変感謝しています。

 

 

長い通学電車でこじらせる

f:id:kinakoandkotora:20211013154947j:plain

 

大学は実家から遠く、電車とバスで3時間かかる距離でした。

 

通学に一日6時間。

 

もはや旅。

 

 

鉄っちゃんならきっと毎日がパラダイスかもしれません。

(一番上の兄が鉄ヲタでして)

 

しかし私は発作のせいですっかり電車が苦手になっていました。

 

モーター音に耳を傾ける余裕はありません。

 

 

初めの1年は実家から毎日通いました。

 

一限の日は5時台の電車に乗りました。

 

四月のまだ鼻の奥が冷たい空気の中、

 

車窓から見える朝日だけが綺麗でした。

 

 

いつも決まった顔ぶれのおじ様達が数人、

 

首をもたげてぐったりしながら乗っていました。

 

例外なく私も。これ何の修行・・・

 

 

 

昔は部活の朝練や旅行など、余裕で元気だったのに、

 

腸炎になってから朝が異常に弱くなりました。

 

 

音楽を聴いて意識を逸らしたり、発作を我慢したりしてひたすら耐えていました。

 

真面目でドケチゆえの、

 

「遅刻できない」

「授業に出ねば」

 

というプレッシャーがストレスとなり、電車での発作が増えていきました。

 

 

胃腸薬を手放せない

f:id:kinakoandkotora:20211013162228j:plain

 

すっかり胃腸薬は毎日飲むのが日常、朝はよくお腹を下していました。

 

「薬を飲んだから大丈夫。」

 

そう信じていたからか、飲むと少しは楽になりました。

 

 

調子が悪くなったら病院へ行き薬を飲んで治す。

 

それがずっと当たり前だと思っていました。

 

家族もそうしていました。

 

 

胃腸が悪いから胃腸薬を飲んだのです。

 

治るはずなのです。

 

 

母もずっと胃弱で胃薬を飲んでいます。

 

でも何十年も治らないのです。

 

私は遺伝で胃弱なのかなと思い、諦めました。

 

 

朝は食事が喉を通らないため、おにぎりを2つ持たせてもらい、大学に着いてからチビチビとかじりました。

 

おにぎりやパンは、胃腸が辛くても食べることが出来て助かりました。

 

 

 

苦手の排除、本来を取り戻す?

f:id:kinakoandkotora:20211013172829j:plain

 

2年生から大学の近くに一人暮らしをさせて貰え、

 

長い通学電車のストレスが減りました。

 

 

夕方5時には学校を出て、たまに友達と遊び、

 

家に帰り、慣れない自炊をし、好きなテレビを見ました。

 

 

不思議と発作の回数は激減し、胃腸薬の服用も減りました。

 

お通じも安定しています。

 

 

学校では頑張っただけ結果は現れ、自己肯定感も復活し、

 

充実した学生生活を送りました。

 

「沢山練習したおかげだ、二浪も無駄ではなかった

 

とまで思える程回復しました。

 

 

好きなアルバイトをしたり、恋をしたり、

 

楽しんで積極的に展示会を開いたりと活動的で、

 

体調のことは忘れるほど安定していきました。

 

 

ポイント

健康面

・胃腸炎以降、早朝がしんどくなった。(低血圧)

・毎日通学6時間で、ますます電車が苦手になった。

・胃腸薬を飲んでも完治せず、飲み続けた。

・胃が辛い時、おにぎりやパンなら食べられた。

・ストレスが減ったら発作が激減した。

・長年の便秘が治った。

 

精神面

・大学合格で自信を取り戻した。

・真面目すぎて遅刻やサボりを許さなかった。(完璧主義)

・楽しんで活動していたら自己肯定感が回復した。

 

夢が叶い、通学電車のストレスを排除した私は、発作を忘れて楽しい学生生活を送りました。

 

昔のように沢山の食事は摂れなくなっていたけど、だいぶ元気を実感し、不自由せず過ごしていました。

 

高校までも、大学生活も、ストレスがなければ元気でした。

 

しかしストレスフリーで楽しい生活は学生まで。

 

社会人になると体の負担や我慢の連続で、再び体がサインを送ってきたのです。

 

 

⭐️ 第六話に続きます⭐️

 

関連記事

 

kinakoandkotora.hatenablog.com

 

kinakoandkotora.hatenablog.com

 

目次リンク集

kinakoandkotora.hatenablog.com

転落編【第四話】初めての発作?

【第四話】初めての発作?

吐気は胃腸炎のせいじゃない?

f:id:kinakoandkotora:20211010134950j:plain

 

二度の胃腸炎を経験後、予備校の夏期講習を休んで心身リフレッシュ。

 

再び予備校へ行くものの、しばらく常に軽い吐き気とお腹の悪さは続きました。

 

 

病院で処方された胃腸薬を飲んでごまかしながら通いました。

 

薬をちゃんと飲んでいれば、そのうち治るだろうと甘い考えの元で。

 

しばらくしたら、思った通りです!吐き気は治ってきました。

 

 

しかし、朝の混んでる電車の中だけは、まだダメでした。

 

電車の揺れが昔は心地よかったのに、今は気持ち悪い。

 

途中で逃げられないので、ずっと吐き気を我慢して乗っていました。

 

 

腸炎の症状の中で、何よりも一番吐気が大っっ嫌いでした。

 

嫌いすぎて、我慢を繰り返すうちに強烈に記憶に残ってしまい、脳に刻まれ、リンクしやすくなってしまったのかもしれません。

 

いいことも悪いことも、反復すると定着しちゃう脳。上手に使いたいのに。

 

 

f:id:kinakoandkotora:20211010142401j:plain

 

前までなんて事なかった30分が辛いのです。

 

ただ「気持ち悪いなぁ・・・早く扉開いて」で頭がいっぱいです。

 

前まで電車の中で、何を見て考えて乗っていたのかを思い出せないのです。

 

 

しかし帰りの電車も激混みなのに、なぜか吐き気はないのです。

 

意識が吐き気から逸れている間、絵を描いてる間は忘れられました。

 

 

胃腸が悪いなら朝昼晩関係なく辛いはず。

 

朝の電車内だけなんておかしい。

 

吐き気の原因はまさか予備校に行きたくないから??精神的ストレス?

 

「意思が弱いなぁ、登校拒否かもな〜」なんて軽く考えていました。

 

 

 

発作のトリガーは緊張?

f:id:kinakoandkotora:20211010145232j:plain

 

入試の日などは緊張からか、特に電車の中での吐き気は酷くなり、

 

何度か耐えられず電車を降り、ホームでへたり込みました。

 

その度に親切な方がすぐに声をかけて下さるのです。

 

 

つい条件反射で笑顔で

 

「ありがとうございます、大丈夫です」

 

といつも言ってしまいます。

 

 

でも皆さんベンチまで手を繋いで連れて行って下さるのです。

 

優しくて優しくて、涙が出る程嬉しかった。。

 

 

しかし同時に「人様に迷惑をかけたくない・・・」

 

という思いが強くなっていきました。

 

次第に電車が嫌いになっていきました。。。

 

 

 

怖くてご飯をいっぱい食べられない(予期不安発生)

f:id:kinakoandkotora:20211010152955j:plain

 

食事も「もし電車の中でキラキラしてしまったら・・・」と怖くて、

 

電車に乗る前の朝食はなるべく食べないよう、回避行動をしていました。

 

中学時代、給食で頭がいっぱいだったヤバイ奴だったというのに、もはや別人です。

 

 

次第に手の爪が、紙切れのようにペラペラですぐに割れるようになりました。

 

しかも爪は波打っていて、アトピーは酷く悪化していました。

 

これも絵の具を触っているから、手が荒れたのだろうと無視しました。

 

しかしその症状は、その後も10年以上続いたのです。

 

 

ポイント

健康面

・胃腸炎後しばらく常に軽い吐き気、お腹の悪さは続いた。

・薬で治っても、朝の電車の中だけは吐き気が続いた。(条件付発作)

・緊張が強いと吐き気も酷くなり、途中下車をした。(条件付発作)

・朝食があまり食べられなくなった。(回避行動)

・爪が薄くよく割れ、波打っていた。(栄養不足)

アトピーが悪化した。(栄養不足)

 

精神面

・朝、行きの電車の中が耐え難かった。

・人様に迷惑をかけるため、電車に乗りたくなくなった。

・電車に乗る前、吐き気が怖くて食が細くなった。(予期不安)

・電車が嫌いになった。(広場恐怖)

 

 

腸炎はとりあえず治ったはずなのに、

ある条件を満たすと発作(私の場合は吐気)を起こすようになっていました。

 

これが私の、初めてのパニック障害(もどき)発作になります。

 

 

この頃は体の事に無知すぎて、何がほっといてダメなことか全くわかっていませんでした。

 

今なら爪が薄く、波打っていた原因が重度のタンパク質と鉄不足ということがわかります。

 

そしてそれがどれほどヤバイことなのかも。

 

体が教えてくれたサイン。それは、

 

セロトニン(幸せホルモン)が作れないということなのです。

 

 

 

⭐️ 第五話に続きます⭐️

 

 

関連記事

 

kinakoandkotora.hatenablog.com

 

kinakoandkotora.hatenablog.com

 

目次リンク集

kinakoandkotora.hatenablog.com

 

転落編【第三話】初めての胃腸炎

【第三話】初めての胃腸炎

 

初めての胃腸炎

f:id:kinakoandkotora:20211006152514j:plain

 

二浪目の春

 

新しく入ってきた一浪生達に負けないよう、私はがむしゃらに絵を描きました。

 

 

そんな私を元気づけるためか、一浪時代の仲間達が集まってくれて、

 

私の20歳の誕生日会を開いてくれました。

 

私は皆に会えてとても嬉しかった、久しぶりに心底楽しくて笑いました。

 

 

アルコール度数低めのサワーに口をつけました。

 

一杯目を3割程飲んだ所で、急に吐気が止まらなくなりました。

 

 

疲れてたから酔いが回ったのかな?

ストレスかな?

引き笑いしすぎて酸欠かな?

 

 

次の日も吐気は治まらず、20歳の誕生日だというのに病院のベッドで点滴を受けていました。

 

お医者さんに

「胃腸炎だね。」とか

「あれ?脈がないね。」とか

「君、アルコール弱い体質だからやめた方がいいよ。」

 

とか宣告されました。

 

20歳の誕生日に禁酒が決定しました。

 

 

 

f:id:kinakoandkotora:20211006155139j:plain

 

関係ないですが私は生魚が苦手です。

 

料亭やパーティの良いお寿司すら、口に合わない残念な舌です。

 

 

昔友人に「人生半分損してるね」と言われましたが、

 

20歳で禁酒だなんて更に損じゃないの?

 

私の人生損だらけかもしれない・・・とショックを受けました。

 

 

今後皆がお酒でヒャッハーする中、私はシラフで暴れる事になるのです。

 

そういえば昔

「合コンでウーロン茶を頼んで良いのは美人だけ」

と聞いたことがありました。(迷信だといいな)

 

「ウーロン茶氷抜きで」

 

なんて頼んで、ヒンシュクを買いたくありません。

 

ただお腹が弱いだけなのです。

 

私は今後「ジンジャエール氷抜き」という生ぬるい炭酸でなんとかしのぐのです。

 

 

二度目の胃腸炎

f:id:kinakoandkotora:20211007142349j:plain

 

初めて胃腸炎を経験して一週間は吐き気と下痢で寝たきりに。

 

その後なんとか薬で少し回復した所で再び予備校へ。

 

立ち止まってる暇はなかったので、また頑張ってしまいました。

 

 

ほどなくして再び二度目の胃腸炎になりました。

 

前より症状は重く、食事もあまりとれず、56kgあった体重は51kgに減りました。

 

会う人会う人に「げっそりしたね」といわれました。

 

 

そういえば昔先輩が、

「人生であと二回胃腸炎にかかると予言されたら、俺は自ら死ぬ。」

と言っているのを思い出しました。

 

なるほど納得の地獄です。

 

 

起きてる間吐気が止まらない。

 

横になってても、食べなくても。

 

薬もニガいのに効かず、ニガすぎてキラキラとお腹PPの同時攻撃。

(まろやかな表現でお送りしています)

 

オワタ。

 

ほんの数年前とは別な人の人生のように、そこはまさに地獄でした。

 

 

完璧主義の呪縛

f:id:kinakoandkotora:20211007150609j:plain

 

一旦休息を取るべく、大事な夏期講習をまるっと休みました。

 

久々の一ヶ月のお休み。少しはのんびりできました。

 

そしたら少し食欲も戻り、絵が描きたくなってきた。

 

 

「心も疲れてたんだなぁ。」

 

ようやく気付きました。

 

 

毎日「〜しなければならない」に支配され

 

しんどい時も休む事は許さない」と無理やり行き

 

毎年「落ちてはいけない」とプレッシャーをかけられる

 

まさに完璧主義の呪縛。

 

 

大学受験勉強を始めてから、

 

朝から晩まで9時間絵を描き、帰ったら国語と英語の勉強。

 

やりたくない時もやり、逃げず、頑張り続けてきました。

 

 

夢の中でまで、電車に乗って空を飛び、予備校に着地しました。

 

目を覚まし「また行くんかい!」とげんなりしました。

 

 

もう無理だと心が言っていました。

 

私は根性も努力も苦手なくせに、

 

変な真面目さと完璧主義のプライドのせいで心身を壊してしまったのです。

 

 

f:id:kinakoandkotora:20211007153943j:plain

 

今ならわかりますが、

 

絵画が好きじゃない上にさほど上手くない人は、相当の時間と努力と根性が必要です。

 

 

好きこそ物の上手なれ。

 

私は体験していて知ってたはずなのに。

 

 

高校の演劇部で、記憶するのが苦手なのに、1時間の舞台の台本を丸暗記できました。

 

好きだったから、楽しかったから。苦じゃなかったんです。

 

好きじゃない事を努力するのは、負担が大きく、苦行でした。

 

 

それに気付かずここから始まり、

 

自分を縛り、我慢や努力をする日々が続くのです。

 

体は「どうか気付いて欲しい」とずっとずっと教えてくれていました。

 

しかし薬でごまかし無視し続けたのです。

 

 

ポイント

健康面

・胃腸炎を短期間で二度発症。

・地獄のような日々を過ごした。

・体重が5kg減った。

・食が細くなった。

・胃腸薬を飲んでごまかしながら過ごした。

 

精神面

・毎日締め切りに追われていた。集中し続けていた。

・休みたい日も真面目に通った。

・夢の中でも予備校へ行く程追い込まれていた。

・完璧主義だった。

・一ヶ月休んだら少しやる気が回復した。

 

地獄の胃腸炎を経験し、これをきっかけに体調不良の数が増えていく。

負のループに入りますがまだ事の重大さに気づいていませんでした。

 

ここで真剣に体の治療をし、心を入れ替えていれば、15年もパニック障害に悩まされることはなかったかもと思うと悔しいです。

 

腸がどれほど健康の要か。

ストレスがどれ程の猛毒か。

 

無知で自分を大切にしなかった私は、どんどん泥沼にハマっていくのでした。

 

 

⭐️ 第四話に続きます⭐️

 

 

関連記事

 

kinakoandkotora.hatenablog.com

 

kinakoandkotora.hatenablog.com

 

目次リンク集

kinakoandkotora.hatenablog.com

 

転落編【第二話】初めての挫折

初めての挫折、心と体の転落編

 

【第二話】初めての挫折

 

初めての大学受験

f:id:kinakoandkotora:20211001150314j:plain

 

高校で進路を考えていた時、興味のある分野は芸術、音楽、理科でした。

 

東京の上野駅に用事があったので、東京藝術大学の見学に行きました。

(日本最高峰に行ってしまう愚かさ)

 

そこで芸大生の作品を見て、衝撃を受けたのです。

 

 

私もこんな絵描きたい。美大生ってかっこいい。「私美大生なんだ〜!」て言いたい。

 

 

デジャヴです。

第一話に続いて、小学校陸上部の時痛いめにあったのを忘れていました。

 

再びしょうもない動機で、美大生を目指し始めました。

 

 

f:id:kinakoandkotora:20211001153209j:plain

 

興味のない静物や人物や石膏像を描くのは面白くありませんでした。

 

 

仕方なく石膏像に名前をつけて愛着を沸かせて描きました。

 

今日はヒロシ。次の日はタケシ。

 

 

私が元々描いていた好きな絵は、漫画やヨッシーポケモンでした。

 

完全に場違いです。

 

 

それでも真面目に毎日通って、今までの人生で1番頑張りました。

 

しかし当然のように受験は落ちました。

 

滑り止めさえ受からずに、見事に滑り切りました。

 

 

皆絵が大好きで、上手で、何年も浪人してやっと受かる人が多い世界でした。

 

 

芸大に関しては現役で入れるのはレアで、

 

「東大より倍率が高い」

メイド喫茶より倍率が高い」

 

とか噂で聞いていました。

 

 

芸大出身の先生に「俺の時は倍率20倍位あったんだぜ」とドヤァされました。

 

先生の倍率よりメイド喫茶の倍率が気になりました。

 

 

 

二度目の大学受験

f:id:kinakoandkotora:20211001173703j:plain

 

諦めの悪い私は、両親にお願いしてもう1年チャンスを貰いました。

 

一浪という情けない状態になりつつも、

 

「難関美大は一浪位普通」

 

という甘い噂を受け入れて、

皆と一緒だから普通、自分は劣っていない」

と思い込み、自尊心を保っていました。

 

 

それなりに楽しく浪人生活を送っていました。

 

仲間も沢山出来て、絵も上達し楽しくなってきました。

 

初めて本気の恋なんかもしました。

(石膏像のヒロシとではないです)

 

そんで一ヶ月で振られて夜の公園で一時間泣きました。

 

 

f:id:kinakoandkotora:20211001180210j:plain

 

そんなんだから当然受験も再びツルッツルに滑り落ちました。

 

ハゲそうです。

 

 

仲間達はほとんど受かり、卒業していきました。

 

 

2年連続、全校から「あなたは要りません」と全否定されました。

 

甘い言い訳の魔法の言葉はもうありません。

 

他者に認められず、褒められず、

 

遂に自分は価値のない人間なんだと落ち込み始めました。

 

 

三度目の大学受験

f:id:kinakoandkotora:20211002145426j:plain

 

諦めの悪すぎる私は、これで最後と両親にお願いして、特待生制度を利用して二浪目に突入しました。

 

社会人の兄に「ニート」と呼ばれました。

 

アニメに登場する兄という者は妹に甘い印象だけど、リアル兄はハバネロみたいな生き物でした。

 

 

学生時代の同級生は大学、短大、専門の2年生として、とても楽しそうに輝いて見えました。

 

私にはよくわからない、ゼミや就活、バイトや恋の話をしています。

 

オシャレや化粧もして、とてもキラキラと綺麗でした。

 

 

一緒に切磋琢磨した一浪時代の仲間達は、美大の1年生として通い始めていました。

 

 

私だけ落ちこぼれのひとりぼっちになりました。

 

人と比べてよく落ち込んでいました。

 

 

f:id:kinakoandkotora:20211002152128j:plain

 

今までぼんやりだった将来を不安に思う事が増えました。

 

人生詰んだかも。

 

就活の時に2浪が足かせになる・・・。

 

でも最高峰の芸大にさえ入れれば・・・

 

 

「かっこいいから美大生になりたい」とか言っていたやつが、

 

急に現実的でカチコチな思考に変化していきました。

 

 

私の将来の夢って何だっけ。。わからなくなりました。

 

 

ポイント

健康面

・食欲は今まで通りあった。

・数年座りっぱなしの運動不足で、運動神経が悪くなった。

・毎日絵を描いていた為、肩が凝っていた。

・ストレスのせいか免疫力が落ちた。

・便秘、アトピー体質は変わらず。

 

精神面

・しょうもない動機で美大を目指した為、頑張りきれない。

・あまり得意でないジャンルの絵を頑張って描き続けた。

・他人と比べて落ち込んだ。友人が輝いて見えた。

・褒められず結果も残せず、承認欲求が満たされなくなった。

・今まで「今」ばかり考えていたのに「未来」を考えて不安に思うようになった。

 

「今」を幸せに楽しく生きることを見失ってしまった私は、

次第に「未来の自分のために後悔しないように」と「今」を我慢し犠牲にして、頑張るようになりました。

 

これから続く長い正体不明の不調にジワジワ苦しめられてもなお、

体と心のSOSに気付かずに「未来」だけを見つめて頑張り続けてしまうのでした。

 

 

⭐️ 第三話に続きます⭐️

 

関連記事

kinakoandkotora.hatenablog.com

 

kinakoandkotora.hatenablog.com

 

目次リンク集

kinakoandkotora.hatenablog.com

【第一話】発症前の幸せで健康な日常(子供時代)

幸せで楽しかった人生編

 

【第一話】発症前の幸せで健康な日常(子供時代)

 

赤ちゃん時代

f:id:kinakoandkotora:20211001141035j:plain

 

きなこは、兄二人の末っ子長女として生まれました。

 

生後一ヶ月でブクブクに太り、見た目はビバンダム、又はマシュマロマンみたいでした。

 

男だか女だか判断に迷うどすこい容姿な上に、兄のお下がり服着用。

 

写真に写る赤子の目は、肉で埋没してたけど多分開いていました。

 

 

暑がりで服をすぐ脱ぎ捨てるけど、鉄壁のパンツはなぜか脱がない。

 

そんな女の一面を見せていました。

 

あまり風邪もひかない元気な普通の女児でした。

 

 

 

小学生時代

f:id:kinakoandkotora:20211001141055j:plain

 

いつも元気なおてんば娘。

 

ふざけ、走り、木に登り、花をすり潰し、虫やザリガニを捕まえ、土団子を並べ、遊ぶ毎日。

 

平成の始まり、公園の多いのどかな地域で近所の子達と皆、自然と戯れて遊んでいました。

 

自分だけ自転車を買ってもらえなくて、公園間の移動の際に皆を追いかけて走っていたら、いつの間にか足が速くなっていました。

 

良いふくらはぎだ、と母に褒められました。

 

 

単純なので調子に乗って陸上部に入りました。

 

陸上部ってかっこいい。「私陸上部なんだ〜!」て言いたい。しょうもない動機。

 

 

毎朝全力ダッシュを何本もストイックにさせられました。

 

ある日疲れ果てて教室で吐いてしまい、ショックを受けて即陸上部を辞めました。

 

 

走るのは好きだけど、遊びじゃない忍耐の走りは面白くもなんともありませんでした。

 

私は根性がなくて、楽しくないただ辛いことは続けられず、すぐ逃げたのです。

 

この頃は、自分の心に正直でした。

 

 

 

中学生時代

f:id:kinakoandkotora:20211001141135j:plain

 

食欲旺盛で沢山食べていたため身長も平均以上はありました。

 

男子に混じって女子一人、給食の残り物の争奪戦をしていました。

 

参戦は主に牛乳です。

 

たまにカミカミ昆布や豆なんかも残りましたが、スルーしました。

 

 

 

中学の卒業文集は「給食戦争」について書きました。

 

部活の部長は皆、部活の青春について書いていました。

 

美術部の部長は私でした。

 

 

高校生時代

f:id:kinakoandkotora:20211001141206j:plain

 

高校は演劇部にのめり込み、楽しくやってたら地区大会で演技賞を受賞しました。

 

演技が特別上手ではないけど、いつも楽しんでいたのは確かでした。

 

今まで大会で賞なんてとったことなかった、しかも好きなことで。。

 

それはとても嬉しく、今でもその時のスポットライトの熱は忘れられません。

 

 

一時間の劇、毎回セリフは膨大で記憶力に自信はないけど、

好きなことは苦じゃなく努力できて頭に入り、早朝練も筋トレも楽しく努力できました。

 

幼い頃恥ずかしがり屋で緊張しいだった自分はどこへ消えたのか・・・

 

大勢の人の視線や注目、照らされる照明がとても気持ちよかった。

 

 

高校まではそれなりに頑張ればそこそこ希望通りだったし、

楽しく興味のあることは成績を残せました。

 

 

褒められて嬉しい頃

f:id:kinakoandkotora:20211001141225j:plain

 

勉強よか体育・音楽・美術が好き!

 

趣味が沢山あり、勉強そっちのけで好きなことを思う存分楽しんだ小中高の学生時代。

 

未来より過去より今が大事。今が楽しかった。

 

 

好きなことを上手と褒められ、ちやほやされて浮かれていました。

 

友達や先生に褒められて嬉しい。

 

親にも褒めてもらえて、自慢の娘でとても嬉しかった。

 

承認欲求が満たされていました。

(勉強は褒められたことないのに・・・)

 

 

人間関係も良好で、学校のアンケートでは「ストレスはない」と回答したほどでした。

 

 

小さな箱の中のバラ色の人生

f:id:kinakoandkotora:20211001141242j:plain

 

人生が楽しかったこの頃。

 

この平和で楽しい日常がずっと続くと思ってました。

 

人間関係・健康・環境・お金、努力もせずに恵まれていました。

 

私はただニコニコ楽しく遊んでいるだけでした。

 

 

自分は運が良いと本気で思っていました。

 

ずっと健康で長生きできると思っていました。

 

可能性は無限大で夢は叶うと信じていました。

 

 

自分の上限を知らない、怖いものも知らない、世界も視野も狭い、挫折経験がない。

 

 

そんな自分の心身の転落が始まったのは大学受験、二度の失敗でした。

 

 

ポイント

健康面

・高校までは心身共に充実していて健康で頑丈

・食欲旺盛でご飯を食べる事が大好き

・生まれつき兄弟全員アトピーが酷かった

・便秘体質だった

 

精神面

・やりたいことを思う存分楽しんでいた

・過去や未来にとらわれず「今」を生きていた

・好きなことは努力が辛くなくできた

・嫌いなことは合格スレスレ程度にやった

・嫌すぎたら即逃げた

・努力や根性が嫌いだった

・ストレスフリー

・人から褒められて承認欲求が満たされていた

・教室で吐いた事を鮮明に覚えている

 

学生の頃までは私の人生で、楽しいや成功や幸福が詰まっていました。

これが後々幸せになるヒントになってきました。

 

 

⭐️ 第二話に続きます⭐️

 

関連記事

 

kinakoandkotora.hatenablog.com

 

kinakoandkotora.hatenablog.com

 

目次リンク集

kinakoandkotora.hatenablog.com